あまり話題に出ないが、我が家にはアカハライモリが1匹いる。道の駅で売っていた子で、トマトという。
アカハライモリというのはその名の通りお腹に赤い模様があって、それはメラメラと燃える炎のような模様でカッコいい。お腹の模様が特徴的なのであまり知られていないが、背中にもグレーの濃紺によって生み出されるきれいな模様があって、どの角度からみていても飽きない生き物だ。
我が家のトマトは餌に食いつくという感じはなくて、しばらく様子を見てから食べ始める。こういうところみる限り、我が家の生き物で1番野生やしい警戒心を持っているようだ。こちらが餌を食べるのを見ようとしているうちは食べないのだが、目を離した隙にいつのまにか平らげているということがほとんどである。
イモリは名前も姿もヤモリと似ているけど爬虫類と両生類でまったく違う生き物だ。またイモリは井戸を、ヤモリは家を守ってくれると昔からいうのだが、最近では井戸というものが減ってしまったので、イモリは割とニートだ、というのは冗談であり、最近はそのへんで見かける機会は減ったようだ。一方、ヤモリは家が増えたので増えたか、というとそうでもなさそうである。こちらも段々と見かける機会が減っているように思う。
イモリやヤモリがいなくなったことがいいか悪いかは知らないが、身近から猫や犬以外の生き物が少なくなった子どもからすれば、世の中はつまらなくなったに違いない。
ところで、井戸がなくなりイモリを見なくなったので今の子どもはしらないかもしれないが、アカハライモリはフグと同じ毒を持っている。といってもほんの微量だ。触ったから死ぬという性質のものではないが、念のため触った手では肉まんを食べない方がいいだろう。
こんなふうにいうと、多くの大人が、危ないから触ってはいけないと考えるのだけど、危険というのは常に程度の問題で、程度の問題をおいてしまうと物事は常にフグ毒よりもよほど危険な事態に陥る。公園から遊具がなくなるように。子供を危険から遠ざけるというのは、基本的に子供の楽しみを奪うことだといえる。反対に言えば、子供は危険を知らないからこそ楽しいといえるだろう。
そして、多くの大人は危険を知っているという顔をして、スピードの出し過ぎで事故を起こし、キノコにあたり、台風のなか畑の様子を見に行って死んだりする。大人がいつまでも賢くならないので、車は自動運転になるのだと思う。イモリは井戸がなくなったのでいなくなったのではなく、いつまでも賢くならない人間に愛想をつかして去ったのだ。井戸がなくなった理由はそんなところである。
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背中の模様はまた次回に。