会社の人間がひとり辞める。転職した時からの上司で、別段上司としてお世話になった感はないが、色々と仕事の仕方を教わった人なので一抹の寂しさはある。自分のまわりから少しずつ人がいなくなって、やがてひとり不毛な地に取り残されることを想像してみる。それに意味はない。寂しい光景だとは思うが悲しくはない。会社の人間がひとり辞める。事象としてはそれだけのことだ。ただそれが少し寂しいと思えるのはいいことかもしれない。

ついでに別れについて考えてみる。
やがて、飼っているヤモリは死ぬだろう。それは不思議ではない。もしかすると自分の方が先に死ぬかもしれない。彼らはそれを悲しまないし、寂しくもならないだろう。それは人間よりもずっと死というものを正しく捉えているからだと思う。
知能の発達している生き物ほど死を悲しむ傾向にある。象などは死を悼むことさえあるらしい。猫は誰にも見られない場所で死ぬという。
我が家のヤモリもなるべくなら寿命に近い年月を生きてほしい。それは飼育する上で最低限の望みだが、これは極限には飼わない選択のほうがより正しいことを示している。ひどい飼い方をする人がいたとして、それよりもマシな飼い方ができるというのは、個人的な感傷にすぎない。無責任な飼い方には断固として立ち向かうべきであったとしてもそれは別の話である。こういった混同がさまざまな場面で余計な誤解を生むように思う。つまり、あの人よりマシだ、という考えはあまり面白くない。
話が跳んでばかりだが、わたしは動物には飼われる幸せなんていうものはないと思っているので、ずっと生き物を飼うことを避けていた。大人になって、自分のエゴと向かい合えるようになって、ようやく生き物を飼うことにした。別段ひとに話すような話ではない。話すような話ではないなら書かなければいいという意見は正しいが、書いてしまったものを消す必要さえない瑣末な話でもある。飼育の心構えなどというのは結局のところつまらない言い訳に過ぎないのだから。

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だしてくれーと訴えてケージの外に出してもらういちみ(クレステッドゲッコー)

満足そうな顔に見えるのも飼い主の妄想である。かわいい。